Hong Kong Macao history|世界のブロガー 香港ニュースタンダードクラブ

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スタンレー・ホー

マカオの歴史スタンレーホー。
マカオの銀行のオーナーであり、リスボアホテルのオーナー。
香港マカオのフェリーを開通させた人。
しかし、意外にもマカオのカジノ産業の近代史は語られることが少ないのですね。ですから、時々、書いていこうと思います。
ちなみに、この人はブルースリーと同じ一族です。

幼いころ、父に蒸発され貧乏な暮らしを強いられます。その頃から「金持ちになってやる」ということで一代でカジノ帝国を築きあげた人物です。

ジャーディンマセソン商会

香港に欠かせない人物、ジャーディン・マセソン。
香港にヘッドオフィスを置くイギリス系ロスチャイルド系企業グループ会社。

中国との関わりは、広州にオフィスを置きましたが、その後、香港へ。
元々はクーロン砦にオフィスがありましたが、今は、立派なビルです。当然ですが・・・

創設から170年たった今日でも、アジアを基盤に世界最大級の国際コングロマリットです。

HSBC


人気のHSBC銀行
この銀行は、1865年にトーマス・サザーランドにより、アヘン戦争後にイギリスの植民地の香港で創設されました。

当時は香港に本社を置き、サッスーン洋行、ジャーディン・マセソン商会、デント商会などのアヘン貿易商社のインドなどの他のイギリスの植民地との間における貿易金融を扱っていました。

時代背景的に、アヘン貿易の利益をイギ
リス本国へ送金するものでもあります。
ちなみに通貨の発行も行っていました。

そしてあまり知られていないのですが、長崎にもありました。

トーマスグラバー

日本の近代化の仕掛け人
ジャーディンマセソン商会の代理人、日本担当トーマス・ブレーク・グラバー
武器商人として幕末の日本で活躍しました。
鉄道や造船ドック等をつくりまたした。維新後も日本に留まり、高島炭鉱の経営、造船、採炭、製茶貿易業を通して、日本の近代化に貢献。
国産ビールの育ての親。

ユニオンペイ

銀聯カードグループ
中国国務院の同意を得て中国人民銀行により批准された、中国の銀行カード産業の発展を目的として設立された金融機関の連合組織。
設立から徐々に加盟機構数を増やし、現在は国内外の400近くの組織が加盟している。設立目的は、システムの統一。もともと、中国の金融機関での決済は各金融機関、各地域でシステムやルールが統一されておらず、異なる金融機関間だけでなく同じ金融機関でも直轄市、省、自治区等地域ごとに設立された支店の管轄地域で作った口座はそれぞれ独立して運用されており大変不便でした。そこをシステム化したのが、このグループです。
これは、中国発展の一役をかった組織です。

スティーブウィン

典型的なユダヤ人成功者
Winホテルマカオ オーナーSteve Wynn

彼が有名になった事業は1989年に開業した Las Vegas Mirage 。 
このプロジェクトに700億円近くを投入したそうです。
これは当時のラスベガス業界では破格の金額です。

資金の多くは Michael Milkin が扱うジャンク・ボンド(高利債)によってファイナンスされたのです。
そして、事業を見事に成功させました。
その後 Treasure Island、Bellagio、Wynn Las Vegas、Wynn Macau、Encore と
大型プロジェクトを次々と成功させていったそうです。 

李嘉誠

香港フラワーの生みの親 李嘉誠

1928年に中華民国の広東省潮州に生まれ、日中戦争の戦火から逃れ1940年家族とともにイギリスの植民地の香港に逃れた。
1949年香港にプラスティックの工場を作り、造花を売り出したところ、「ホンコンフラワー」として大当たりとなり、1958年に不動産業に転身し、長江実業有限公司を設立して香港最大の不動産ディベロッパーとなった。1979年に和記黄埔、1985年に香港島の電力供給を独占する香港電灯を買収。

1989年に天安門事件が発生。
外国企業が中華人民共和国から避難したとき、逆に中華人民共和国への投資を拡大して香港最大の企業集団として台頭した。

信徳フェリーターミナル

香港澳門の架け橋 信徳フェリーターミナル

香港がイギリスの植民地、マカオがポルトガルの植民地であった1962年に、両地を結ぶ高速フェリーとして香港に拠点を置く信徳集団有限公司によって、水中翼船などの高速船による運航が開始された。

信徳集団はスタンレー・ホーが創始した、マカオにおけるカジノ事業を独占した企業集団であり、この航路はカジノ観光の動脈として発展した。

九龍城

今はなき九龍城塞

1898年、イギリスが清朝から香港島や九龍に隣接する新界、及びランタオ島をはじめとする香港周辺200余りの島嶼部を99年間租借。

九龍城砦は新界地区に所在していたが、例外として租借地から除外され清の飛び地となる。

後にイギリスの圧力で清軍・官吏等が排除されてしまい、以後中国大陸が中国国民党率いる中華民国となって以降も、事実上どこの国の法も及ばない不管理地帯となる。

ここでは、裏社会のビジネスが横行した。今は、取り壊され公園になっている。

サンシティグループ


太陽城集團
マカオジャンケットの大手グループ、
カジノ機器やシステムに限らず、あらゆる関連のサービスを展開している。
マカオで唯一のリムジンハマーを所有してることでも有名。
世界のアーティストを呼び、コンサートを行ったりもしている。

ネプチューングループ

海王集団
香港メインボード上場企業。
マカオジャンケット大手です。
エンペラーホテルをはじめ、最近では、マカオ星際酒店娯楽場のカジノ業務「畳碼仔」を買収。
買収価格は43億2000万香港ドル(約591億円)。

東インド会社


厳密にいいますと「イギリス東インド会社」という一つの会社組織が存在した訳ではありません。
ロンドン東インド会社、イングランド東インド会社、合同東インド会社(合同会社)という三つの会社の呼び名なんです。

初期にはインドネシアの香辛料貿易をめざしてジャワ島のバンテンやインドのスラトに拠点を置き、マレー半島のパタニ王国やタイのアユタヤ、日本の平戸、台湾の安平にも拠点を設けた。

アジアの海域の覇権をめぐるスペイン、オランダ、イギリス3国の争いの中で、アンボイナ事件後、活動の重心を東南アジアからインドに移しました。

18世紀以降、中国の広東貿易にも参入してアヘン戦争を引き起こし、香港を獲得した。しかし、インド大反乱の責を負う形でインドの行政権をヴィクトリア女王に譲渡し、1874年に解散した。

ジャーディンマセソン商会

ジャーディンマセソン商会は元々東インド会社で、貿易商社。
1832年、スコットランド出身のイギリス東インド会社元船医で貿易商人のウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソンにより、中国の広州(沙面島)に設立。
当時、広州は広東システム体制下、ヨーロッパ商人に唯一開かれた貿易港であった。ウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソンは阿片貿易で莫大な利益を上げました。
設立当初の主な業務は、アヘン密輸の他に紅茶のイギリスへの輸出。
同じロスチャイルド系の香港上海銀行(HSBC)は、ジャーディン・マセソンなどが香港で稼いだ資金をイギリス本国に送金するために設立された銀行です。

インドのロスチャイルド サッスーン財閥

インドのロスチャイルド
サッスーン財閥は、18世紀にメソポタミアに台頭したユダヤの富豪家族で、オスマントルコ治世には財務大臣を務めるほどの政商となっていました。

この一族に生まれたデヴィッド・サッスーンは、バグダッドに生まれ、インドに進出、1832年に阿片の利権を求めて、ボンベイに移住しました。 
上海を中心に中国北部を支配したフリーメーソン組織「イングランド系北支地区大結社」の首脳の一人です。  
当時は、イギリスが1773年からインドでのアヘン専売権を武力で獲得し、東インド会社の貿易を通じて、中国にアヘンを売り、アジアから銀を巻き上げる麻薬貿易により、ロンドンのシティに莫大な富をもたらしていた時代でした。

やがて、1842年のアヘン戦争に敗北した中国は、香港をイギリスの植民地とする敗戦条約に署名をしなければならなくなり、同時に上海などいくつかの港を開き、イギリス領事館を置くことに同意させられました。

イギリス最大の銀行である HSBC(香港上海銀行)は、こうしてアヘン貿易で得たお金で、1868年に創られたものであります。

「阿片王」 デヴィッド・サッスーンは、1864年にこの世を去っており、HSBCはデヴィッドの5男のアーサー・サッスーンが最大の株主となり、香港上海銀行は設立されました。  
その出資者は、サッスーン一族がリーダーとなり、ベアリング商会、ジャーディン・マセソン商会、ロスチャイドに関係する役員で構成されていました。

デヴィッドの長男は、アルバート・アブダラ・サッスーンといいますが、彼はインド西岸にはじめてドッグを建設し、その名も「サッスーン・ドッグ」を足場に海運事業を興しており、

当時イギリスの風刺画に彼は、「インドのロスチャイルド」と称されていました。

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